ネイチャーランブリングについて
山を歩きながら、自然の「なぜ?」に触れ、知ろう!
石鎚山系の山々は、ルートや季節によって、経験者同伴でなければ危険なケースがありますが、道に迷うリスクも少なく、基本的に非常に登り易いです。
殆どのルートが、冬季を除いて、ただ登るだけならば、案内するガイドがいなくても、無理なく登ることができるでしょう。
紅葉シーズンの石鎚山の弥山の喧騒を見れば、まるで街中を歩いているかのように、普段着で歩いているかのような人もいるぐらいです。
ランブリング(Rambling)とは、ただ歩くのではなく、何かをしながら歩くこと。
地形・地質、動植物、文化など、自分に問いかけながら、登ってみれば、全く別の世界が拡がります。
正解を厳密に求めるのは学者さんに任せて、自由な発想を膨らませて行きましょう。
石鎚山系の山々の中でも、特に顕著なのが石鎚山ですが、地形・地質がきわめて複雑に変化しています。
この変化が人を魅了する景色を作り出していますが、なぜ?どうして?この姿になったのか?、気づくことなく登っている人が殆どでしょう。
【ネイチャーランブリングスタイル】で、自然の景観に癒されながら、なぜ?、どうして?を大切に、一緒にフィールドへと踏み出しましょう!
例えば・・・・
石鎚山系をランブリング
日本百名山の1つに数えられる「石鎚山(いしづちさん)」は、愛媛県に位置する雄大な山です。標高1982mを誇るその高さは西日本最高峰であります。その石鎚山を代表とする石鎚山系には、標高1700m以上の山が10座以上、標高1500m以上になると20座以上もあります。
そこで育まれた自然の多様性は、それぞれに「なぜ?」と「どうして?」が潜んでいます。
ぜひ一緒に探求してみましょう。
石鎚山系の地形・地質
石鎚山系の山々を登ると、その地形の多様さに驚かされます。
弥山~天狗岳~南先鋒(1982m)の山頂を繋ぐ尾根は、見事なナイフエッジの様相となっていて、初めて行くと、足がすくむようなルートになっています。
瓶ヶ森(1896m)になると一変して、50ha以上のなだらかな平原が山頂に広がり、周回できます。
子持ち権現山や筒上山になると、円錐や台形のような岩山になっています。
天狗岳
まるで包丁の刃を上に向けたような感じです。
瓶ヶ森
天空の草原のようななだらかな平地です。
子持権現山
まるでタケノコのような形ですね。
こうした特徴的な地形をしている山々が隣接しているのが石鎚山系です。
もちろん、山頂がこれだけ多様なので、周辺にも地形の多様さは、随所に見られます。
面河渓の花崗岩の絶壁や古岩屋の礫岩の峰々など・・・
面河渓
高低差100mにも及ぶ花崗岩の岩壁です。
軍艦岩
まるで包丁の刃のように鋭く尖っていますね。
古岩屋
タケノコの群生しているようですね。
こうした石鎚山系の多様な地形は、どうやってできたのでしょうか?
その秘密を解くカギは、その地質にあります。
日本は、プレートテクトニクスで唱えられているように、岩盤(プレート)の動きで生じた付加体(ふかたい)でほぼ構成されています。
付加体とは、プレートが地下に入り込む時に、表面の地表が削られて溜まったものです。
削られたときに、その時の地層の変化がそのまま残るので、四国は、ほぼ綺麗なマーブルラインができています。
石鎚山系は、三波川変成帯という緑色片岩(伊予の青石)の土台の上にあるのですが、もう少しズームアップしてみると、円状の地層があり、複雑に地層が入り組んでいますね。
この円形状の地形は、石鎚コールドロンと言います。
これは、1500万年前の大噴火の後です。阿蘇山のカルデラのように、大地が円形に陥没するほどの巨大噴火で起こったのです。
ちなみに、カルデラとは火山性の凹地形で、かつて陥没したカルデラの中味が噴出マグマなどで埋まったり隆起して現在は山になっているような場合、凹地形ではないのでカルデラとはよばず コールドロンと称することが一般的です。
石鎚山や面河渓は、このコールドロンの内にあり、瓶ヶ森は外にあります。
現在、四国には火山はありません。
石鎚山を構成する岩は、火山活動によるものですが、火山の噴火口がないように、マグマが堆積によって高くなったのではありません。
その後の隆起によるものです。
「第四紀」(約260万年前)から急激に隆起し始めたとされていて、現在も毎年2ミリづつ継続しています。
「岩石鉱物鉱床学会誌「四国 石鎚陥没カルデラと天狗岳火砕流」
Q1.石鎚山が毎年2ミリづつ隆起しているのはなぜ?
ロッククライミングをしている姿を時折見かけますが、石鎚山の北壁は「石鎚断層崖」と呼ばれる断崖絶壁です。隆起と聞いて、ここを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?
確かに、面河渓のような河川による浸食作用ではないですし、ここに隆起のヒントがありそうですが、周氷河地形であって、どうも違うようです。
南先鋒の柱状節理、面河渓の花崗岩・・・ここら辺にヒントがありそうです。
Q2.火山がない四国に、道後のような温泉があるのはどうして?
温泉には、火山性温泉と非火山性温泉の二つがあります。
道後温泉を筆頭に、四国の温泉はすべて後者になりますが、地下にマグマ溜まりもないのにどうして熱水が噴出するのでしょう?
もちろん、地下深くなれば地熱がありますので、温度は上昇して行くのですが、熱源はそれだけなのでしょうか?
どうもここにも1500万年前のカルデラ爆発が関係していそうです。
石鎚山系の自然
石鎚山系の地形と地質は、そこで育まれる植生に影響を与え、動植物や人間の営みにも影響を与えています。
垂直分布を見ると、石鎚山の頂上近くの1700m以上には、シコクシラベ・ヒメコマツ・ダケカンバ等の亜寒帯林、その下の1000m以上にブナ・ミズメ・ナラ・カエデ類・ウラジロモミを主体とした冷温帯林、さらに下がってモミ・ツガを主体にブナ・シデ・カエデ類・ケヤキ等の混入する中間温帯林、700mの面河渓関門付近以上には、ウラジロガシが主体となった暖温帯林が見られます。
亜寒帯・冷温帯・中間温帯・暖温帯が気候帯に対応して垂直に分布しています。
西日本では、このエリアだけと言われており、極めて多様性に富んだ南方系及び北方系の動植物を数多く見ることができます。
そして、石鎚山の亜寒帯には、ミヤマダイコンソウ・ヒロハノコメススキ・ツガサクラのような純高山植物が見られますし、イシヅチサクラ、オモゴテンナンショウのような固有種も存在します。
本来は日本アルプスの標高2000メートル以上の高山に自生している純高山植物が、その標高に満たない石鎚山に自生しているのは、鳥や昆虫などが持ち込んだものでも、ましてや人が持ち込んだ外来生物だからでもありません。
氷河期時代に北方から南下してきたこれらの植物たちが、氷河期時代の終息と共に、寒冷な高所へと避難して来て、そのまま残っているようです。
温暖化が進むと、絶滅することになるという予測が出ていますね。
Q3.石鎚北壁の下に植物の群生があるのはなぜ?
北壁ですので、太陽の光があまり入らない環境で、しかも、冬季には南西の風に乗ってより積もり日陰で溶けるのも遅い筈なのですが、ナンガククガイソウなどが群生しているのを見ることができます。
この謎を解くキーワードは、ソリフラクションであるようです。
※ ソリフラクションとは、凍結破砕作用によって岩が砕かれ、その礫が霜や氷の力で動くこと
Q4.笹原の中の樹木の更新はできるの?
石鎚山系には、瓶ヶ森のように、イブキササが一面に群生している場所があります。ササの中に、シコクシラベやウラジロモミなどがあるのですが、ササ原の中でどうやって育ったのでしょう?
ササが太陽光を塞いで、種を落としても芽吹いて育つことがなさそうに見えます。木が先に育った後に、ササが進出したのでしょうか?枯れて白骨になっている木も多いので、木は無くなっていく運命なのでしょうか?
Q5.シラベなどの白骨林があるのはなぜ?
石鎚山系では、笹原とシラベやウラジロモミが立ち枯れて幹が白骨のようになった光景に出会えます。
標高が1700mを超えたあたりで忽然と現れるのですが、なぜなのでしょう?
植生を決めるのは、気候や地形に地質、生物、そして人の営みです。
どんな条件が積み重なっているのでしょう?
石鎚山系の自然の成り立ちのヒントがここにあります。
Q6.長方形の岩が突き刺さったような地形はなぜ?
天狗岳と同じ標高の南先鋒には、柱状節理と呼ばれる現象でできた長方形の岩が林立してます。1500万年前の火山活動のマグマが大元なのですが、大規模なカルデラ噴火で石鎚コールドロンと呼ばわれる地形ができ、そこからの長い年月の中で、現在の形になり、今でも毎年2ミリづつ隆起をしているのです。
ロッククライミングでたどり着いた先の岩の造形にはどんな秘密があるのでしょう?
石鎚山系の地形の成り立ちのヒントがここにあります。
石鎚山系の文化
石鎚山は、日本七大霊山に一つに数えられます。
石鎚神社は、山麓にある口之宮本社、石鎚山中腹(7合目)にある中宮成就社、山頂(弥山)にある奥宮頂上社、石鎚スカイライン終点の土小屋にある土小屋遥拝殿の4つの社殿で構成され、毎年7月1日から10日間行われる「お山開き」では、全国各地から沢山の信者の方々が訪れています。
こうした霊山としての側面から石鎚の文化が考えられることが多いですが、石鎚山系は、昭和50年代まで焼畑農業が盛んに行われていた地域で、その影響が今でも見受けられます。
瓶ヶ森の氷見ニ千石原から得られた炭化物の分析から、瓶ヶ森周辺で少なくとも300年ほど前から焼畑が行われていたことが分かったそうです。
山林の利用もあったことでしょう。
島国で山国の日本の景色には、アメリカのグランドキャニオンのように、水平線までどこまでも同じような広大な景色が広がっている壮大さがあるわけではありません。
しかし、地質・地形の多様性、日本列島の位置関係による気候などにより、世界でも稀にみる多様な自然が日本の自然を特徴づけています。
石鎚山系の地形・地質の多様性は、動植物の多様性にもつながり、和辻哲郎の『風土論』にあるように、自然の中で生きる人の営みをも決定づけていると言えるでしょう。
Q7.石鎚山の信仰はいつから始まったの?
1300年前に役小角によって開山されたと伝えられています。
石鎚登拝の歴史は意外に浅く、特に一般庶民たちが信者として登拝するようになったのは、江戸中期からと考えられるそうです。
ただ、山伏の起源にも諸説あり、 文献上に出て来る以前に、何らかの信仰があったようにも思われます。
山頂に神社があるのは、欧米人から見ると珍しいそうです。
Q8.石鎚山系にはいつ頃から人の営みがあるの?
焼畑農業は、そもそも稲作よりも原始的な農業形態なので、石鎚山系で始まったのが300年前からとは思えません。
神鳴池の伝説では雨乞いが出て来て、ブナの大木が出て来ることから今と様相が違っていたことから焼畑との関連も気になりますし、上黒岩遺跡の存在からひょっとして縄文時代なのかもしれません。
ヒューマンサインを探すのも面白いですね。
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